FOVEONがSIGMAの子会社になったのは2008年のことだ。
それ以前のことがいろいろ知りたいと思っていたのだが、2014年CP+のシグマブースにおいて
山木社長がFOVEONについて、また新たなquattroセンサーについて、
断固としてベイヤー型のような色補完にはならないと熱弁をふるっていらっしゃる。
その中のスライドショウで、FOVEONの様々な立役者やら、開発の経緯を話しておられたが、
3点わからないことがあった。
その1・・・シグマと組む前に発売したというプリズムカメラとはいかなるものか、いかなる形をしているのか! 1枚のセンサーにRGBの色情報を記録できる、つまり1ドットで色が決まるセンサーを開発する前に
プリズムを使い3枚のCCDに分光し、3色それぞれの色情報を獲得し合成するという、
FOVEONプリズムカメラ(SIGMAの山木社長は2014年CP+のプレゼンで、たぶん200万円くらいで、また歩留まりも悪くあまりビジネスにならなかった、とおっしゃっていた)ってどんなカメラの形であったのか。
このプレゼンの中では回は手う実験中のものしか映っていなかった。
「歩留まりが悪く、あまりビジネスにならなかった」ということは、若干でも市場に出て使った人がいるということである。
その写真だけでも見たかった。
形はすぐにわかったが、英文などの記事でも,2000年の海外各地カメラショウで展示されたり写真を撮ることが可能だった、というだけで、今一つ〇月〇日発売というような明確なきじは少しの間検索しただけだが見られなかった。
中には製品化には至らなかったとの記事も出てくる始末。
意外な企業が加担していた。
Hasselalad だ。
Hasselalad Dfinityという名のカメラ、
突き出したマウントの中に3食分好プリズムとCCDユニットが入っている。
FOVEON II DIGTAL STUDIO CAMERAというのが出品され触ることができ、作例なども見ることができた。
Hasslbladの歴史という海外のサイト(直営?)では2000年にDfinityをリリースしたと明記してある。
それに、オークションでボディーだけ落札したという方のブログも見つかった(これは近々コンタクトをとって、了解が得られれば、その方のブログのリンクを貼りたい)。
いろいろ海外のサイトで見る限り、カメラ単体では機能せず、PCにつなぎカメラを制御し、PCで映像にするといった大げさなもののようだった。
これが3色分光プリズム。この先にCCDが貼り付けられた。
でも3色をプリズムで分光して同時に別々で撮りあとで合成するという。
これ事態はは独自のアイディアではなく、戦前戦後のカラー名画・テクニカラーで撮られた物は、プリズムによって色を分光し、画原色を撮って、後々合成するというものだ。
傑作揃いで、タイトルの中にカラーの技術者の名前がでかでかと出てくる。
それだけすごい専門職であったのだろう。
しかしこのころになると(これ以前からあるけれど)Hasselやマミヤといった中判カメラのフィルムパックの所にデジタルパックを取り付けてデジカメにする手法が大方を閉め、後々には中判デジタルカメラ。。。などと、35㎜フルサイズの大きさより多きセンサーを積んだデジタル中判カメラも出現した。
そして2002年のPMAショウの前にこのようなものが発表されている。
一応プロトカメラということになっており、シグマに積むものとはセンサーが違うと記されていてスクエアサイズである。
しかしX3センサーであって、プリズムはなかった。
相変わらずハッセルのDfinityと形も変わらないし、センサーがスクエアサイズであるという点も変わらないのだが、
今年1月のポンカメ(日本カメラ)に出ていたシグマのフォビオン検証機そのままであるのだが、シグマの方は1998年と200年に検証機を作っている(もっと作ったかもしれないが記事に載っていたのはこの2点だ)。
ただこの記事には2000年のフォトキナにおいて先代の山木弘道社長とFOVEON者を作った、カーヴァ―・ミード教授と意気投合してデジカメを作ること、しかもFOVEONセンサーを積むのを決めてきてしまった。という記事に矛盾する。
検証機はFOVEONがもともと作っていたのかもしれない。
それか、記事の御記である。
とすると、ディック・メリル氏が特許をとり、ディック・ライアン氏が実用化に向けて取り組んだX3素子はソコソコ長い研究があり(そりゃそうだろう)それとは別に、デジタル部分では新しい技術やコンピューターやソフトの力を借りなければいけなかったが、アイディアとしては比較的昔から使われていて、大きなCCD,、合成しての高精細のスタジオカメラの売り出しは2000年ころ狙っていたということだろうか。いわば食い扶持というか…
(2018.7.15追記・・・プロトカメラも、さらに初期の1998年ころの実証機も、X3センサーを発明された、故ディック・メリル氏がお持ちのものを現在シグマに借与されているとのことだ。 出典http://photo.yodobashi.com/sigma/interview04.html やはりフォヴィオンは最初から三層センサーありきで設立され、早い段階で実証機を作り、2000年のプリズムカメラの方は,製品としてはわずかに出たものの、あとの話だったのではないか。やはり食い扶持にしようと思っていたのではないかと思う) 2000年フォトキナにおいて、ミード教授と先代山木社長が意気投合して・・・という記事の時系列に間違いがなかったら
2002年発売されたSIGMA SD9はずいぶんとハイピッチで開発できたといえる。
プリズムカメラは、アメリカで制作されたらしく、どうも。。。ブキッチョでうまく組みあがらなかったのではないかという説あり。
日本のメーカーに作ってもらっていれば成功していた感も知れない。
また2002年のPMAショウで出品したプロトタイプのカメラが依然としてモックアップのような形でスクエアサイズで少し大きめのセンサーを積んでいたことは、
FOVEONはFOVEONでスタジオカメラを作る野望を捨てていなかったのかもしれない。 しかし、安定した量産機としてFOVEON X3センサーを搭載したSIGMA SD9を手に持っているミード教授の写真は、達成感と安堵と喜びに満ちているといった表情に見える。
CP+などで当代山木社長が、、、画質にこだわり、低感度で動画も取れないFOVEON X3素子を積み続けいたり、とっぴなデザインに見えるdp quattroシリーズなどを、ユーザは愛情と自虐を込めて「変態カメラ」と呼んでいるけれど、、、SD9こそ変態極まれりというカメラだとおっしゃっていた。それはフォビオン側のセンサーの映像エンジンの電源とCPU,SIGMAの方のカメラの電源とCPUが1つのカメラに2系統のものが存在しているからである。
web上で、当時(2002-3年ころのユーザーのインプレッションではCFカードとの相性の問題、私は知らなかったがCFカードの形状のマイクロドライブ(HDD)があったようなのである。また電源も単三乾電池(エネループなどが望ましい)かCRーV3
リチウム電池を2個(あ、これはたぶんセンサーの方)、CR123Aを2個(これはたぶんカメラの方)の仕様だが、
映像の記録などにかかる時間に追って電源が消耗したり、フリーズなどの現象が起きたりなど苦労話がいくつも出てくる
しかし2018年の現在私の使っている環境では、全く変態カメラとは思わないし、サクサク使えるカメラである。
RAW現像ソフトSPP6.6がSD9の時代のものと比べると格段に進歩し、PCのスペックも信じられぬほど上がったことが下要因と考えられる。
また、中国製の安いCR-V3充電池を2個使用(これはミレニアム期のコンデジのOLYMPUS C3040と、TOSHIBA Allegretto PDR-M70用に計4個の電池と1対すぐに受電できるようにと寿電気を2個買ってあったことが幸いした。
充電池も中国製のものであるからいつまでもつかわからないが、今のところは2-3日で交換といったところか。
国産の1次電池のCR-V3だともっと長持ちするのであろうか。そこはわからない。
最新型のsd quattro H(現在バッテリーグリップを使い電池3個体制で臨んでいるが、電池の減りははやい。
SD9はセンサー上ににマイクロレンズを持たず、翌年発売のSD10はマイクロレンズをセンサーのドットの上に敷きつめ感度を上げげているそうだが、どうせFOVEONではISO 100しか使わないので関係ないといえる。
しかし、SD14になると画質はぐっと良くなり、SD1当たりではぐっと飛躍的にドット数が上がり、quattroセンサーでは息を飲むような空気感を感じることも多い。
SD14などは大好きで2台使ったが、使いやすく好印象で画質が良いので(メリル素子やquattro素子とは比べ物にならないが)、せっかく大変な思いをして買ったsd quattro Hの出動が減るため手放した。手放してももう一度懐かしくなり、今年に入って2台購入、二台放出している。SD9ではそこまでの画質は出ないから競合はしないので、しばらく持っていようと思う。
その2・・・シグマの子会社になる前、FOVEONセンサーを積んでいたカメラはどんなものがあったのか。 現在では民生用のカメラではなく特殊分野のカメラ用にFOVEONセンサー供給されることもあるようだが、
シグマの子会社なる前、1/1.8吋のセンサーを開発したらしく、ポラロイドが、そのセンサーを利用してX530というカメラを発売したらしい。2004年の頃らしいが、再三の発売延期、web上のデジカメなどに発売が再三延期されたこと、デジカメWatchなどでは。アメリカから来たカメラ(量産試作機か?)をテストして原稿を書いている途中にさらに発売延期の通知が来たこと。日本における輸入商社が待ちきれずつぶれてしまったことなどで、日本での発売はなかったらしい。でも米アマゾンなどでは販売された形跡があり、使用者のレヴューなども載っている。
米人などは、カメラの写りなどに寛容だが、2005年というとある艇のコンパクトデジタル機も成熟していて、そこそこの高感度には耐えられるようになり、X530は、やはり実用感度が100であること、のろいこと、ごく普通のズームコンデジを狙ったから接写などには考慮されているがレンズの歪曲が多いなど。ヒット商品にはなりえなかったようだ。しかし、ムラムラするのも確かで、アメリカだけで発売されたフジのSR素子を使った高倍率レンズ使用バージョンのS20proと、FOVEOセンサーを使ったポラロイドX530は1度は手にしたい気がする。シカシ富士のSR素子は製造元のSONYのリコール問題を受け、実働機の存在は絶望的である。
その3・・・今後シグマ以外に民生用のカメラにFOVEONセンサーが搭載されることはあるのか・・・ 今年山木社長がパリでインタヴューを受けた際にFOVEON素子をSHIGMAだけで独占しようとは思っていない、LEICA Mなどに搭載するのもよろしかろう。。。しかしセンサーだけの問題ではないから。。。」そう。映像エンジンや、1眼レフタイプでないDPシリーズ、特に新しいミラーレス1眼カメラsd quattroなどはEVFか背面液晶を使えるので電池の消耗と発熱の問題が非常に多い。
EVFでAF/AEロックの牡丹に割り当てた拡大モードでAFを検証するだけでなく、MFで使用するのも実に早い撮影ができる。
考えてもみよう。往年のPENTAX6x7などに工場率のマグニファイヤ―を付けピントを合わせ、マグニファイヤ―を外し撮影するのに比べどれだけ便利でチャンスを逃さないか。MF撮影にも大変便利で最近はMF撮影の頻度が多くなっている。
どうだろう、
Leicaの件だが、もともとレンジファインダーカメラだったから光学距離計連動、また昔のライカ使いはフィルム仕様であったから、背面液晶もなし。機械シャッター、M4シリーズまでの様に露出計は外付けのセレンかアモルファスのMCメーターMKII,シャッターは布幕1/1000まで。
プリズムを多用した実像式ファインダーはもう作れないだろうからコシナに依頼し、
ウェッツラーやゾルムスの老人ホームに行けば、布幕シャッターを貼っていたおばあさん1人や2人ご存命だろう。
認知症を患っていても手は勝手に動くものだ。
フィルムを巻き上げるという意味はなくなったが、布幕フォーカルプレーンシャッターを巻き上げるという意味では、
巻き上げレバーの存在意義を誇示できる。
カウンターも機械式にして、、、翌街中で人数を数えたり野鳥を数えたりしているきかいがあるでしょう。
あれをシャッターボタンと連動させ、ボディー上にボタンを付け背面窓窓を2つ付け、まず○○GBという窓の所の数字をボタンを押して設定する(もちろん機械式だ)。隣の窓に枚数計(一応早見表を見て)。、撮影枚数をこれも機械式のボタンを押し、セットして逆算式のカウンターにすればよい。
電池が長持ちするに違いない。
ライカ使いが、撮影ごとに背面液晶で確認するのは、ライカ爺をあまた擁する日本人にとっては、実に嘆かわしく愚かしく、国辱の限りである。ライカ爺にとってライカは神であるから、ひたすら距離計のみを信じて疑うことなく撮影し、帰宅してPCに展開して失望するのがよろしい。もちろんRAW専用機でなければならない。JPEG変換なんかしていたら時間の無駄だ。
また、少々ライカ全盛期のアバウトな写法でも救済できるからだ。
ただソニーα7シリーズや、往年のEPSON RD-1のようにはいかないだろう。
極めて高いテレセントリック性の高いレンズを求められる。
ライカの古いレンズの味比べなどに向くかどうかはわからない。
ライカの本気を出した少々大きくても性能本位の恐ろしい値段がしそうなレンズを付けた場合、
良い結果が生きるかもしれない。
レンズ最低100万円、ボディは150万円。それが良かろう。
信州と会津で組み立てられた部品を簡単なプラモデルの様にドイツで組めばよいのだ。
ただMマウントでは口径食の問題やらいろいろ出てくるだろう。
どでかいマウントにして、Mマウントアダプターも同梱すればよい。
もちろんヴィゾフレックスも用意して、豊富な望遠ズームに対処しなければならない。
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2018/06/10(日) 18:16:11 |
SIGMA SD9
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