
(ピッカリコニカ C35EFの記事は、別項で
http://yotarouyokosuka.blog92.fc2.com/blog-entry-587.htmlhttp://yotarouyokosuka.blog92.fc2.com/blog-category-234.htmlでも考察しておりますのでよろしかったらご覧ください)
私は、このカメラが誕生したころは幼稚園生であった。Kodakのポケットカメラ(110フィルムを使用)が流行っていたころである。高価な高級機種はそれなりに良い結果が出たが、普及したものは安価な粗悪品だった。フジカ(多くはセディック製だったようだ)など画質にこだわって善戦したが、それとて35mmフィルムを使うカメラにはかなうわけが無い。そんなKodakの気まぐれという不毛に振り回された時代に誕生した堅実なカメラだった。
わたしがカメラに興味を持った小学校中学年ころは、このカメラは現役、
中古カメラに手を出しかけた高校生ころには現役末期、
大学に入ってからカメラ販売アルバイトをしたときは、ゴミであった。
ゴミというのは、下取りセールという名のもとの値引きの材料に使われ、
実際売れる当てもないのに、カメラ店が下取ったものだ。
段ボール一杯のピッカリコニカをもらったことがある。
私がカメラの促販アルバイトをしていたバブルのころ(ちょうど昭和から平成に変わるときであった)
ピッカリコニカだった人はAF化の時には見送り、ズーム付きのものが出たときに、バブル景気も伴って、
堅実な2倍ズーム機、バブリーな京セラ・サムライ(私はサムライの販売員だった)などに一気に変わっていったのだ。
誰もピッカリコニカには目を向けなくなった。
H-C水銀電池もなくなり、、、
顧みられなくなったカメラは、電池の液漏れやカビでことごとく消えていったのである。
私が段ボールで1箱貰ったころ、多分発売から15年ほどだと思ったが、このころだったらまだ生き残っていたものが多かっただろう。
2001年からPCを持ちネットを巡回するようになって、いわゆるプラカメでさえ日本のものはいいレンズを搭載しているということを知った。
私は迷わず判断の材料としてRDPIII(フジクローム・プロヴィア)を喰わせた。
私はフラッシュフジカを良しとした。
このC35EF、ピッカリコニカの作例を挙げて良い、良いといっている人の感覚が分からなかった。
しかし、これはプリントしてみないとわからないだろう。ネガのスキャンだけではわからないものが多い。
私は、フジノン、ロッコールが好きだった。
さてFUJICA ST-Fに関して考える場合にどうしても、KONICA C35EFを生き証人として購入しなければならなかった(と思いこんだ)。
初期型、後期型、いろいろ情報が乱れ飛んでおり、本当は諸元が書いてある取説が欲しかったが、買ったものには取説だけなかった。しかし、「新発売」時のパンフレットは入手することができた。
初期は質感に優れ、後期は高感度特性(現在のフィルム環境)に適合しているといえる。
さて、資料がいろいろ入っているが「ジャンク」ということで買ったので、
¥2.000でも高いなぁと思いつつ買った。
さて、どうしてどうして、カメラには電池の液漏れさえなく、完動品だった。・・・と言うか、露出レヴェルなどを確かめるために、
当時のH-C電池の電圧降下型アダプターを使ってボルテージを合わせ、試写した。
上がったネガをスキャンしたところ、私にとってはやっぱり好みではなかったのだが、
しか~~~し実に軽快な撮影感であった。
昨年あたりからフィルムカメラ大粛清をしていたはずが、どんどんリバウンドしてきている。
何故だ・・・デジタル一眼カメラで自由になったか。。。
いつもAFがどこに合焦したか、瞳AFが作動するか、MFに切り替えるか、露出レベルはどうだ、
ISO感度をどうするか、
また上記のことを切り替えるボタンを探したりといろいろめんどくさい。
結局パッカーンと大したことも考えず近・中・遠だけを狙って撮ればいい。
ラチュードの広くなったカラーネガフィルムはいろいろ救済してくれる。
ホルガだのダイアナの復刻だの、復刻ロモだの(これは安く転がっていれば一応マシなカメラなんだけどなぁ)、に散々お金を使って、結局は、トイカメプロパガンダに騙されたとお思った人が、ピッカリコニカに活路を見出したのは想像に難くない。ピッカリコニカ開発のキッカケは、当時現像所まで赴いて、素人の写真の失敗の原因は露出不足が多いということに気が付かれたという。その開発車は、横須賀の誉れである内田康男さん。
氏の設計による、簡素かつ時代の転換点ともなったカメラ、シャッターを2速に限定し絞で制御するという実に簡素なものだが(のちに3速に変更)、私が当時チャチいと思っていたことは「軽快さ」に、ゾーンフォーカスでピントが当たらないことがある・・・は「なんでそんな神経質になるの?」に変わっていったのではないだろうか。
トイカメプロパガンダに幻滅した人は、かわいくて、フィルムという未知のものを使って、軽快に、しかし実用に支障の無いものではなかったか。
昭和50年春(1975年)から数えて44年。。。
オークションサイトやフリーマーケットサイトで「詳しいことはわかりません」でダメなものをたびたび拾った方は、確実に撮れるんだったら多少のお金は出す用意があるという骨のある人なのだろう。
まぁ球数が多いので、貴重とまではいかないが、44年もたっていると保存による差が出てくる。
そんな背景があるのではないだろうか。
逆にホルガやダイアナの再生産品、いや、オリジナルの香港製のものでさえ売れなくなった。
ホルガで、先ほど書いた逆の体験をした。
たいして時間もたっていないはずだが、「1回使っただけです」とのこと、こりゃいいやと思って購入。
梱包を説いて嫌な予感。
赤窓を見たら白い影。。。フィルムが途中である。この状態で放置されていたということはと、急いでフィルムを引っぺがし、フィルムマスクを取ってみたら、鮮やかなスカイブルーというかマリンブルーの結晶の中に電池は埋没していた。
丁寧に取り除いて電極を磨いたが、電極が折れた。
実際トイカメラのブームに乗ってみたものの、高いお金を出してフィルムと現像、焼き付けをしてもろくなもんが写っていなければ、いやになりますよ。トイカメラ遊びは、それなりの経験が必要である。
それよりは軽快に撮って、多少の失敗があってもきちんと距離さえ合わせればしっかり写った方が楽しい。
私は、ピッカリコニカに関してはフィルム1本だけの体験だったが、軽快さは味わった。
メルカリで結構高いのでびっくりしたが、要はきちんと動くものを欲している人が多いということではなかろうか。
私のピッカリコニカ初期型で作例もつけて完動品ですと記し出品したが、質問で「完動品で、撮影できるということですか」という質問が来て「はは〜ん、なるほど」と思った次第である。
元は水銀電池のH-C(MR44)の1,35Vだが,今ほとんどの人がLR44(1.5V)を使っている。
私は、ボルテージが1.4Vと限りなく近い補聴器用のPR44(エア電池)を入れて、購入者にお送りした。
44年経っても生き残っているもの、それを中古としてきちんと買った方、そして、世に出す方もきちんと撮影してまともなものだと証明したもの、、、これは長く生き残ってほしいものだ。
もともとの出来はさすが小西六、保存の良いものは初期型といえども全く実用に問題はなかった。
少しでも多くのこの手のカメラが生き残っていてほしい。
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- 2019/02/23(土) 17:50:54|
- ピッカリコニカに関して少~ぅし考えてみる。
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プロジェクト Xという番組があったが、それをもじって誰がどんなカメラを目指してこのカメラを作ったか。。。
むしろこちらが調べるプロジェクトである。
が、しかし。それはポンカメ2009年10月号、三宅岳氏の元SEDIKの社長さんへのインタヴューであっさりネタが割れるのだ。
What?・・・フラッシュ内臓コンパクトカメラ
Why?・・・フラッシュ内臓コンパクトカメラで究極の1眼レフ式にできないか
Who?…SEDIC(山崎義雄社長の号令の下、天才的発明家の専務の大島繁さん)
山崎社長から富士写真フィルムに企画を持ち込んだらしい。
上の写真は、FUJICA ST-Fのカタログの中にも、この天才的な発想が堂々と構造図で書かれている。
距離計連動機のキヤノン ナイター(A35 Datelux)やRollei 35RF(1981年、日東光学製RFの意味はレンジファインダーじゃなくてローライ・ファミリーだそうだ)だと、衝撃などにより距離計の上下ずれや距離のずれが発症する。
ジャンク漁りの方には覚えがあろう。
カタログにある通り、小型で耐久力性のある~ミラーシャッターの記述はあながち嘘ではない。
もちろん10万回テストに合格。。。とかプロユースの意味ではなく、非常にディンプルであり壊れにくい。
機械式で電子的な請われもなければ、経年やバネが弱る、引っかかるなどのない限り、このシャッターは動き続ける。
上記の不具合は発売後40年を経てのことであるから、ちょっと酷である。
なぜガラスの立派なプリズムを使ってまで、それを補うようにへんてこりんな機械シャッターで補ったか…と私は疑問に思ったのだが、それは明確に「フラッシュ付きコンパクトカメラ」のなかでの「1眼レフ」という目標がはっきりしていたからであった。
ミラーシャッターというか、フォーカルプレーンシャッター以外の1眼レフは比較的ややこしい。
この時代になるとユニット化したコパルスクエヤのメタルフォーカルプレーンシャッターが量産化され、1眼レフに参入するメーカーも多くなったが、それにしてもレンズの絞は内蔵しなければならず、露光の時だけ絞り、撮影事前と事後に絞り羽を解放させる必要がある。
ましてや、このような機械式プログラムシャッターにはならなかったろう。
レンズは独立しており、レンズの中に絞もシャッターも含まれていない。
背後に、シャッターボタンを押すと絞り値によってセリ上がり量をコントロールされたバーと、
ミラーにくっついてくる変形七角形の穴がある膜(板)があわさって絞りとシャッターを兼ねる。
この、ミラーにくっついてくる変形7角形の穴は絞りの上側の役割をする。バーは下側。
絞開放だとバーは上がらず、ミラーもフルスイングするので露光時間も長くなり絞も解放となる。
逆に、絞リングを絞っていくと下のバーはセリ上がり、ミラがフルスイングせず途中で蹴落とされ、
露光時間も短くなり、穴も途中までしか顔を出さないから結果的に絞られたことになる。
この、小型化、簡便化の発送が先にあって、それで逆にコストダウンとなって、ガラスプリズムなどを載せられるようになったのであろう。
次回の完結編で明らかにしたいが、随分フジカらしい意匠に仕立て上げたのである。
同じくSEDICが豪州のバイヤーズブランドメーカーに供給したHANIMEX REFLEX FLASH 35は、
もっと徹底したスリム化、極限のスリム化を図っている。
部品などは違うようだが、構造、理屈的には一緒である。
目測型のピッカリコニカ・フラッシュフジカ型だとゾーンフォーカスなのでピントが合わないシチュエーションも出てくる。
かといって、Canon A35 Datelux(キヤノン ナイター)やRollei 35RF(1981年のフラッシュ付き距離計連動カメラ・日東光学製)型だとピント合わせの問題では不安がなくなるが、近接に弱い弱点は残るし、最短狐狸の1mほどでもパララックスが出てきてしまう。
同じコンパクトカメラでも1眼レフ式にすれば(小型化するにあたってヘリコイドの構造を簡便化したため最短距離は1mだが)、ぅローズアップレンズ1枚で拙者はできるし、コンバーションレンズも使える(しかしこれがx1.5で焦点距離も半端で、描写もよくない)。
一眼レフと思うから妙に見えるのだ。
初期のフラッシュ内臓カメラのうち・・・1ー目測、2ー距離計連動、3-1眼レフ
それぞれの利点を生かした、ピッカリコニカ族と思えばいいのだ。
その中でも気候的に異彩を放っている。
以下はカタログ、取説より。
世界初というのはちょっと無理であった。
製造元が同じSEDICの作ったHANIMEX REFLEX FLASH 35であったようだ。
面白いのは、海外市場ではFUJICA ST-Fは見つからず、国内市場ではHANIMEX REFLEX FLASH 35が見つからないということ。
製造元が同じでも、互いのシマは荒らさないということか。

こんな健康的な美しいおねぇさんをの写真を掲載すると、家族をとったサービスプリントにがっかりすることとなる。

上の写真と同じことが言えるが、リバーサルフィルムだったらこれ位行けるかもしれない。
問題はそこに写るのが「だれ」かだ。

フィルターワークができるのは、このカメラの面白さ、クローズアップレンズは実用性を高めているのは確かだ。
ケンコーを推奨しているのが面白い。

TVが撮れるといっても、こんなに光線状態のいい、かわいい女の子を登場させるのは販促だ~ じゃなくて反則だ!

取説の方がリアリティーはある。

一番左のバレーの写真は、フラッシュフジカデートのASA感度ダイヤル操作での露出補正の項に掲載されている。

美しすぎなくてよろしい。
出たぁ~!!和服のおばちゃん。これはフラッシュフジカデートとも同じ写真だ。
先ほどのテレコンを使った望遠撮影のページのバレーの写真と。このST-Fの取説の露出補正のバレーの写真は1ページにまとめてASA感度ダイヤルを操作して舞台写真を撮るための露出補正の項にまとめられている。

次回
FUJICA ST-F道とHANIMEX REFLEX FLASH 35道の最終回
「SEDICはいかにしてFUJICAに仕立て上げたか、そしてFUJICAの1979年とは、そして未来・・・」です。
- 2019/02/20(水) 07:12:26|
- FUJICA ST-F道とHANIMEX REFLEX FLASH 35道
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(FUJICA ST-F FUJINON 40mm/2.8 ILFORD XP2 Super使用)
東京の庶民の町、肩を寄せ合うように間口の狭い家と狭い道、ダイハツミゼットがやっと通れる道。方向転換ができないから大人が二人掛かりでミゼットを持ち上げて転回した、なんて話も聞く。そんな町角であったろう。。。まわりは大きく変わり。。。ふとかつて肩を寄せ合ったいたであろう人々の暮らし、そして残っていた。屋根の上の物干し台。。。
- 2019/02/19(火) 21:16:15|
- FUJINON 40mm/2.8(FUJICA ST-F)
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(ILFLRD XP2 使用、最短距離)
うまいねぇ~ あ、ポストの話。
このときは昼下がりでしたのでお店は空いていませんでした。
今度行ってみようかな。。。
修理店で完調になったFUJICA ST-Fは家宝である。
- 2019/02/13(水) 17:46:03|
- FUJINON 40mm/2.8(FUJICA ST-F)
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実はこのレンズ、昔、デジカメなんか持っていないころ、EBCコーティング時代のレンズを、リバーサルで撮ったものがあったが、モノコートのものは初めてである。
実は、私がカメラを始めたころは、普及品でない限りマルチコートが当たり前、AEが当たり前の世の中だったが、コーティングで色のバランスは変わるとはいえ、ガラスに決定的に左右される。戦前のZeiss IkonのカメラでCarl Zeiss Triotar付きのものとNover Anasthigmat(もともとICA社のレンズ)で決定的に色が違い、Triotarは現代でも通用する、もしくは、はるかに凌駕するハッタリの利くものであった。
FUJINON(35㎜1眼レフ用)はEBC(マルチコーティング)になると、鏡胴が趣味の悪い安っぽいものになってしまう。
このモノコートのものは、アサヒのスーパータクマー?と見間違えるほど落ち着いている。
実は、モノコートのものを探したのだ。
「意してプラカメ拾うものなし」を執筆されているRikkie様のモデルさんのポートレートにいいものを感じたのだ。
いい感じに写るレンズというのは試したくなる。
今回、ダブってしまったので最初に入手したレンズだけのものをヤフオクに送り込んだ。
もちろん買った値段より少し下げて。
レンズは奇麗で問題なし。鏡胴のヘリコイドリングなんかペイントしなくていいのにリペイントしてあって、レンズの前枠がカタカタ言っている。ネームプレートにも金属のリングで止めている(フィルターに使用しているようなもの)。
あれー、、、これはねじ込めばいいんじゃないの?と思ったらそうであった。
前のユーザーはEBCの接着型と勘違いしていたのだろうか。
ネームプレートをねじ込んでも肩方は治らなかったから、またネームプレートを反対に回し、取り外し、中にあるネジを閉めたカタカタも治った。これでネームプレートをねじ込んで終わり。
同時に入札したんだかジャンクと書いてあって黒いST701とケース、と同じFUJINON 55mm/1.8が付いているものがはるかに安い値段で落札できた。ボディーも大変奇麗で、素人の手が入っていない。
ただ動かないだけなのだ。こういうものは修理専門店に出したいものである。
ただ予算の関係で未遂に終わっている。
さて、互換できるレンズが少ないSIGMA SAマウントであるから、モノコートのフジノンはありがたい。
EBCになると、TTL開放測光のために突起ができて最後までハマらないのである。
使うとなったらやすりで削り、絞り込みピンを固定してしまうが、今回は売りに出すのでそうはいかない。
本当は銀の粒子にこのレンズの光を当てその粒子がピッと立ち、解像感が増すが、
デジタルだとどうしてもそのようにはいかない。
ただ絞り込みピンを押し込んでいないということは開放なんだけれど、
開放から大変良く写るといえる。
もちろんFOVEONで検査され、FOVEON規格で作られた35㎜/1.4 DGとは比較にならないが、
フィルム時代にこれだけの写りがあれば大変良いレンズであったろうといえるし、
現在もフィルムを使えばもっと好印象になるはずだが、ハロなどもなく、かつなめらかで
たいすたたまげだ。
現在持っているものは、外観もきれいすぎて、手を入れる勇気がない。
モノクロフィルムで撮ってやりたい。
- 2019/02/12(火) 20:16:05|
- FUJINON 55mm/1.8(SIGMA sd quattro H)
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FUJICA ST-F道とHANIMEX REFLEX FLASH 35道も、そろそろ終わりに近づいてきた。
実物で見る当時の状況証拠、
そのたびに変なものを買い込んだり、実に莫大な投資となってしまって、それが実におろかだなぁとおもいます。
Canonの場合AFカメラでは若干遅れたが、遅れたというか、満を持すといった感じです。
危なげなAFより赤外線アクティブ式で安定したものとなり、モータ巻き上げも相まって、評判となった通称オートボーイ(AF35M)の登場である。
その間のつなぎとして、Canon Datelux(通称ナイター)である。
Canodate-Canodate E-Canon datamatic-Canon Datluxと進むCanonの日付写し込みカメラの系譜である。
Dateluxではピッカリコニカ型の内臓フラッシュを入れたが、FUJICA ST-Fとは違い1眼レフタイプを採用せず、距離計連動を採用した。まぁこっちの方が当たり前なのだが、、、
まぁそつのないきっちりしたものだ。フラッシュ不動品が多いような気がする。台湾製で、安い部品を使ったのだろうか。
しかし1970年代末このような距離計連動機を組み立てる技術力があったんだなぁ、台湾に。
満を持している間があったからこそこのカメラ(Datelux)も存在し得たといえる。
さて、これからは多分、あと2記事
1.セディックのプロジェクト 3W
2.いかにセディックはFUJICA STシリーズとなったか(1979年富士写真フィルムは何をしたか)
1は2009年10月号のポンカメ記事であっさり割れた。
2は、意匠の問題という些末なことだがちょっとだけ面白いことで、
フジフィルムのサイトと海外の物証から見たターニングポイント。。。
ちょっと海外オークションサイトの写真を拝借しなければならないが(これにはジャンク品が必要なのだが、海外送料まで払ってジャンクを数体買うなんて馬鹿なもことをできないから)、
グレートブリテンおよび北部アイルランド連合王国より良さそうな個体を取り寄せた。
- 2019/02/10(日) 00:14:10|
- FUJICA ST-F道とHANIMEX REFLEX FLASH 35道
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LUMIX G8のローパスベイヤー素子のJPEG撮って出しの画像はちょっと荒い。
ニコンだのキヤノンだのの最近の35㎜ミラーレスのものと比べてもFOVEON quattro素子の勝算は十分にある。
透明度が違う。。。なおこれはRAW現像した方がその良さはわかりやすいが、
G8の場合もRAWと併用して撮るようにした。
レンズの解像度がすごいとこのカメラのJPEG撮って出しだと、
下手なお絵描きをして、台無しにするのだ。
やはり大事なのはバランスか。。。
ましてやこのように小さいサイズにリサイズしてしまうと良さが分かりにくいかもしれない。
- 2019/02/09(土) 00:20:09|
- SIGMA16mm/1.4 DC DN(μ4/3 LUMIX G8)
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愚息が生まれるのを機にG1から動画の撮れるGH1に更新した。
1昨年末いよいよボロボロになって、アイピースゴムはとっくの昔に撮れていたけど、アイピースの枠まで落下。
G9発表に合わせ棚ずれ品になったG8ボディーのみ購入。
動画を考えていたので標準域と望遠域のパワーズームの安い方を中古で購入。
見てくれの貧弱さとは裏腹に良い仕事をしてくれていると、感謝している。
パナソニックのG20mm/1.7をGH1次代の発売直後に買ったのだった。
これは35㎜フルサイズ換算40㎜と大口径で暗いとこに強く、まだ高感度に弱かったGH1当時には必須なレンズであった。
今でこそGH5など映像を撮る人にとって必須かつかつ高嶺の花のような感じであるが、GH1の時は貧相なもんであった。
大口径でもISO800がどう考えても限度であった。1600は我慢の限界を超えていたし、プリントするとスジが出た。
この20㎜のレンズにメタルフードを付け、プロテクター代わりとしてガンガン使い倒し、そのままカメラごとカバンに突っ込んだものである。それだけコンパクトにまとまったのだ。
がである、パナソニック自身もパンケーキレンズ(薄型に設計したレンズ)を自任しており、その分使い勝手は良かったが描写性能(逆光に弱かった)とレンズ駆動のモーター音がうるさく、フォーカスが遅く、シャッターチャンスや、ピンボケ写真を作り出す結果ともなった。
レンズを狭い空間に押し込めても描写性に良いことはない。これはフィルム時代のレンズシャッター機にも言えることで、ZeissのTessarならコンパ―シャッターの付いたものより、シャッターを内蔵していないばれるレンズの方が性能は良い。
FUJICA GS645に踏み切れないのも、そこにある。蛇腹の弱いプラカメというだけではない。
動画映像などは家庭用ビデオというだけではなく、仕事上必要なのだ。
私など大きい舞台ではないが演奏などの反省材料に使う。
舞台上は照明があるので暗いレンズでも十分である。
しかし家庭内はともかく旅行などになると夜の町などを歩いているとき、宿の中でのショットなど、
レンズの明るさを求められることが多い。
またμ4/3とはいえ、使える感度は上がってきている。
撮影倍率が大きい場合は(望遠など)ISO3200などでもあまり気にならない。
しかし広角系だと、粗は目立つ。
指導している団体の北海道の団体との交流演奏に家族も同行することとなり、
演奏の反省や記録のためでなく、家族旅行としての側面も出てきた。
これは、何とかせねばならぬと思いつつ試しては見た。
試すのなら中古。ヤフオクで状態がよく休めに出品されているものを探し、
いっそ、数週間のレンタル台と思って買った値段より安くだす。
リスクは少ない。
まず使ったのがパナライカのSUMMILUX 15mm/1.7である。
取り回しのよさそうなレンズだが、無理にパンケーキ化していない。
極めて対逆光性に優れたレンズであった。
(名誉のために言っておくが、写真手前のこの安いパワーズームも色と対逆光性は非常に優れている)
でも、広いのだ。
作品を作るのにはいいかもしれない。しかし家庭用に1本つけっぱなしにするには広いのだ。
こちらは、ズームレンズより単焦点レンズで育った世代なので、少しのことは足で稼ぐ。
それが災いするのだ。
ギリギリいっぱい入れると、端にいる人間の顔が四隅に引っ張られる。これは糸巻き収差によるものでもなく広角レンズにおいては致し方のないことである。
端の方はトリミング前提であえて余裕をもってとるなどということは至難の業だ。
35㎜換算、35-40㎜あたりが一番欲しい。45㎜でもよい。
50㎜はゴメンこうむりたい。
55-60は大歓迎だ。
シグマのDP-1メリルなどのために作られた19㎜などは焦点距離としては理想的だ。
35㎜換算38㎜相当。国民的カメラだったピッカリコニカやフラッシュフジカ、ミノルタハイマチックシリーズのフラッシュ内臓期は大方この焦点距離である。
これがなぁ、ひと絞半明るい1.8くらいだったらなぁ。
少しでも感度を挙げずにシャッター速度を稼ぎたいのだ。
オリンパスの17㎜/1.7が該当しないわけでもなかった。
いや、こっちを選ぶべきだったのかもしれない。
オリンパスやパナには義理立て市内から中古でよい。
しかしシグマの16㎜/1.4DCDNは評判が良いのだ。
もちろん、マイクロフォーサーズよりAPS-CのSONY Eマウント用で24㎜相当で使わないともったいないレンズなのだが、
マイクロフォーサーズだと32㎜相当という、意外と絶妙な焦点距離となるのだ。
コンパクトカメラで一時期この焦点距離が採用される時期が多かったことがある。
私も京セラP-mini 3、Leica mini 3(フィルム時代のプラカメですよ。それこそパナならぬ松下電器の傘下のウエスト電機製である)のズマール32㎜も意外と使い勝手の良さを味わった。
もういい。オリンパスに寄り道するのはやめて、シグマに行ってまえ。魔法のカルタも限度額からこのレンズ代くらい引いた分は支払い終わった。
もちろん最初から分かっていたことだが。。。でかい。そして贅沢な構成

(13郡16まいですとぉ!!!???)
これだけガラスが詰まっている。
予想以上に重かった(改めて構成図を見れば予想できたと思うが)。
でも画角はこれ位であれば使い慣れている。35㎜相当で32㎜というのは意外とハマりのいい焦点距離だ。
欲を言えば40㎜相当なのだけれど。
私にとって家族旅行の最大限広いレンズは32㎜相当だ。
う~む、こうなると電池の持ち時間という意味だけでなく、バランスの面でもバッテリーグリップをいつもつけておくこととなりμ4/3の携帯性のよいさを犠牲にすることとなるが、良しとしよう。
ピントの愛も早いし、静粛であるし、性能もよいし、よく撮るシチュエーションとも相性が良い。
旅行ともなると、普段40㎜相当でよくてももう少し全体像が欲しいところも出てくる。
μ4/3の焦点距離で1㎜、35㎜換算だと2㎜、ここら辺のワイドの昇天域での2㎜の振舞の差は大きい。
少しモノを言い始めた魔法のカルタ(悪魔のカルタ)がまた言葉をあまり発さなくなった。
拝啓山木社長殿。貴社に喜捨いたしました、ぬあんっつって。
寒いギャグで笑えない(経済的にも)。。。
- 2019/02/05(火) 20:49:02|
- 家庭、旅行、小市民的カメラとレンズの問題。
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