
とにかく悠長でこのカメラとは呼吸が合わなかったが、以前取れてない写真があったのだが、これは壊れているのではなく、取説によると、撮影OKの緑ダンプがついて、半押しでフォーカスを合わせる。前押しでシャッターを切る。。。
最初から全押しだと撮れないことがあると、取説には明記されていた。カメラのトップ部にはデジタルスチルカメラ。
カメラ前面にはデジタルカメラと書いてある。
肝心の商標のAllegrettoだが、トップ部に印刷されている。

前年衝撃的デビューを果たした初代Allegretto、今回のAllegrettoM1と同時にプレスリリースで発表された1998年のAllegretto5は、カメラの端を当時のPCカードスロットにドッキングさせPCとの連動性を高めた。もちろんその薄さ小ささは東芝の得意とした、小さな小さなパソコンLibrettoあっての事だろうが、この独禁具体ぴは35万画素と現在使うには難があり、私もLibrettoを使っていたが、壊れたのである。であるから、Allegretto2年目の高画質モデルM1を購入したのである。
良く写ってるようなイマイチのような、その中間といったところか。
2000年になると各社2~300万画素でも垢ぬけた画を吐き出すようになる。
当然どんどん高画素化をメーカーが競うようになり、元のカメラより高画素なセンサーを積んだら、かえってノイズが目立って画質落ちて見えたなどの現象も起きた。15年以上たって安い中古で比較しているのだから暢気なものだったが、当時外観やjコンセプトは同じモデルでも高画素のものが出た時、前のものを持っていた人は地だたら踏んで悔しがったろうし、後の方の高画素機種をさらに高いお金で買った人は、どうやら前のもののほうがきれいに見えるなんてうわさを聞いた日にゃ、地だたら踏んだのである。
コンパクトデジカメと言っても大変高価なものであり、フィルムカメラは最後の花盛りであり、まだまだフィルムカメラのほうが良く写った時代であるが、肝心の写真屋さんにおいてのプリントが、デジタルプリントとなり(フィルムをフィルムスキャナーで読み込み、デジタル変換してプリントする)、プリント自体がデジタル信号のほうに親和性を持つこととなる。
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- 2018/11/18(日) 10:16:39|
- TOSHIBA Allegretto PDR-M1
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マイルドのお顔立ちで西洋的だったのでさほど気にかけずに通り過ぎていた。
所用で鎌倉に行ったんだから鶴岡八幡宮で視写と思っていたが帰りはひどい雨であった。
罰当たりな考えで聖像をと。。。
角度によって表情が変わっていないかぁ???
恐れ入りました(平伏)
また1998年の20年選手が、描き分けられているのにも感謝。
しかしこのカメラは良く写るが、呼吸が合わない。
- 2018/11/06(火) 22:28:26|
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(11月16日・画像追加・・・これがAllegretto PDR-M1 1998年のTOSHIBAの高画素モデルである、150万画素)
稼業にしている音楽でよく出てくる言葉(日本語では使わないというか)洒落で・・・
なんてんで昨冬ズーム比が高いものを買ったが、Allegrettoという文字はカメラの表面にはどこにも見つからず、起動画面に一瞬出るだけだった。
洒落だから、機種の事なんか何も調べていなかった。200年発売のフラッグシップ機M70を
ウドの大木のトイカメラ級のものだち思っていたくらいである。
よし!これは状態のよさそうなM70だ!と入札したら海外市場向けでAllegrettoのロゴはなく
そこにTOSHIBAと誇らしげにエンブレムがついていた。
東芝Allegrettoの起こりは1997年と伝え聞く。
https://www.toshiba.co.jp/about/press/1997_06/pr_j1601.htm
カメラを常時携帯するという夢は、すでに1910年代にイーストマン・コダックしゃのヴェスト・ポケット・コダックで
完成されており、大変薄型でヴェストのポッケに難なく入るし操作は簡単だしで爆発的に売れた。
わたしも常に携帯できる魅力的なカメラということを追って、セルビマイクロ110(岩田エンタープライズ)を正規のカメラやのルートではないのだが無理して入荷してもらって買ったことがある。何しろ110カートリッジにぽこんとレンズとシャッターと枠ファインダーのついているユニットをつけるだけだし、おまけにダミーのフィルムがコインケースで、端にはキーホルダーがついている。
まさに常用できる。写りはひどかったが、コダクロームとエクタクロームとベリクローム(白黒ネガ)フジカラーを喰わせた。
1989年に本命のKONICA A4(渾名がビッグミニ)だ。ワイシャツのポケットに少々厚いが入る大きさ。
クローズアップモードにするとA4サイズを複写できる程度に接写できるというおまけ付きで、黙っていてもご指名で売れた。
さて、私の悪友ならぬ善友、後輩にして大先輩、モギくんがDTのPCをくれるという。
モニターは買ってくださいね。CRT(ブラウン管式モニター)は三菱のダイヤモンドトロンのを買ったほうがいいですよ。。。と。
21インチの今から思うとバカでかいナンセンスなものを中古で買った。中古でも4万円台であったのだ。
それは2001年の話。PC上でCGIや画像掲示板などが珍しく、こんなブログのようなものはいパン的にはなかったといえよう。
電話接続の人が多く、画像はダウンロードに時間がかかって嫌がられたと思う。
であるから荒画素デジカメなど必要もなく、かといってweb上で画像を配信するのにデジカメは便利だった。
フィルムカメラで撮ってスキャナーで読み込み・・・これで即時性を失う。
さて、このころ過去の少しあとカシオのエクシュリムというのが出る。これは単焦点レンズで固定焦点だったがワイシャツのポケットに入った。いいなぁと思ったが高くて買えなかった(俺ってどれだけビンボーなのよ)。
しかしだ。2002年に記念行事の曲を書き10万円だったか20万円だったかをギャラでもらった。
いつでもどこでも電車の中でも仕事ができるように東芝Libretto L2という小型軽量のPCを買った。
まさに本のような薄さ。今は見なくなった名刺大のカードスロットがついていた。
万事モバイルの時代、メーカーはどこだったかな、データスリム2という電子手帳みたいなもの(PDA)をそこに差し込んで同期させ日程管理、電話帳、その他できるものをカードスロットに入れた。ろくに使わないうちにそのまままだ我が家にある。
しかしだ。Libretto L2を買う5年前にPDR-2のようなケツをカードスロットに差し込むカメラがあったなどと,当時知ったら発狂しただろう。金はないわ欲しいわで、大変なことになっていただろう。でもよく考えてみればUSBケーブルでカメラにつなぐなりマルチカードリーダーをつなげばいいだけの話だったりするが、同じ東芝がこんなシステムを構築していたなんて。
今やLibretto L2は壊れ、ヒンジの部分が折れて、公民館の小物家電BOXの中にポイされた。
だからPDR-2は要らない。それにRikkieさんのHPのクラデジのコンテンツで実写を見たが、webカメラの域を出ないと、
自らをなっとくさせた。
さて、このAllegretto PDR-M1だがPDR-2の翌年に出ている。同時にAllegretto 5というケツをカードスロットに刺すタイプと、このM1がプレスリリースに同時に発表されている。5のほうは35万画素。M1のほうは150万画素で高画質を狙ったという。
Allegrettoの差一緒の機種も収集欲をそそるが、2003年発売のM700が最後だろうと思ったら、その2か月後にもう1機種台湾製高のものが出ているらしく、収集するのはやめた。
- 2018/11/05(月) 19:26:25|
- TOSHIBA Allegretto PDR-M1
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