(FUJI FinePix S5pro、SIGMA UC ZOOM70-210mm/4-5.6
ISO400 JPEGで撮影)
樹木希林さんと岸田今日子さんの「そうでないかたはそれなりに」・・・のシリーズで。私の記憶では、帰国子女を装った樹木希林さんが「ふ~じか~ら い~ろき~れ~」と米語っぽく言っていたCMがあったように思う。
FUJICOLOR II FUJICOLOR400(初代)からイメージやロゴを刷新して、さらに微粒子であるHRシリーズになった。
でもASA400のカラーフィルムはHRやHRIIになっても色はどんどん良くなっていくが(濃くなって)、室内専用の感があった。
普通に実用できるようになったのはその次のHR superあたりでこらぶったまげた。
HGになると井森美幸さんが「ピントが合いやすく 色が良い ズームレンズには ちゃ~ フジカラぁ~~~~ えいちジぃ~ぃ~ぃ~ぃ~い~」と一人で歌って踊っていた。
常用できるようになるとカメラメーカーもF値の暗いレンズを大量生産し、86年フォトキナにおいてはPENTAX Zoom 70などが発表され(いまではコンパクトカメラにズーム付きがなかったなんて信じがたいだろうが)
感度が上がったカラーネガフィルムと、タッグを組んで発展したようなものだ。
お~~400でも使えるじゃん、ブローニーは400入れっぱなしでもいいな、と思った。
小学生の時ネオパンF(ASA32) ER(64) PCN(160)などを大事に、しかもフラッシュをたかず、YASHICA mat 124Gの絞開放で撮っていた気概はASA400がISO400と呼称が変わって微粒子化したことによって完全に安直なものとなった。
色がこてこて出るのが嫌いだったが、
2007年1月に登場し、2009年10月に販売終了になったS5ProとフィルムっぽいコテっとしたSIGMA UC ZOOMを付けてみた。
むか~し、の80年代初頭から中庸を思い出す画です。
2005年ころ、キヤノンEOS 100QDを浜松の酒屋さんのカメラ通販でキヤノンなどのEOS KISSあたりを狙っていたんだが、人気が高く足が速い。
とりあえずずんぐりした100QDとシグマUCズーム28-70月をゲットできた。
でもあの頃はそれなりに値段の付くカメラであり6000円代だった。
純正レンズの方がいいのにとぶつぶつ言いながら、ファインダーを覗いてなんとな~くいいような感じがしたが、
「シグマだし・・・」←今の意味ではないですよ。当時はため息です。
90年代初頭の写真工業誌にこのレンズのテストレポートが書いてあり、優秀だと…純正より。。。
作例もよいように思われた。
同じ号にLeica R-Eの標準ズームにシグマのこのレンズに白羽の矢が立った。。。と。
「え!?シグマが!?当時の率直な感情だ。
その後数年前にバーコード集(アートコードだそうだ)アートコードリーダー(アートコードと同じ雰囲気の所に遭遇した時にその下
のバーコードを読み取りカメラにくっつけ転送する)を偶然入手して、
昨年、このアートコードリーダーを使うとどうなるんだろう。。。と
実践してみたらこうなった。。。的な記事をブログで書こうと思ったが、ばかばかしくなってやめた。
何しろPでよい。
ただし、結婚式などの場合フラッシュや露出などの塩梅が盛り込んであり(これはプロCマンの経験値を盛り込んだのだろう)、どうなのかと思ったが、結婚する人間もいなければ望遠レンズもない。
なんとな~くUCズームの望遠を探していたら、28-70と70-210の両方フード付きのものが安く出ていたから買ったのだが、
またこれが、カビや曇りなどなく、実用上十分なものだった。
唯一の難点は、、、フィルムを消費しなければならないこと。
MINI ZOOM28-80HFのニコンマウント赤鉢巻のNikon Fマウントへの興味もありD70Sをついつい精進、それと入れ替わりにS5Proを精進。。。Nikon Fマウントの70-210の状態の良いものはなかなか見つからず3本目の正直ともいかず5本目でも駄目で、前群置換と相成ったが、ダメな時のレンズである。ダメったって中玉の端に曇りがあるとかそんなもんだ。
いかにもフジカラーって感じが出るのが面白い。
こういう明るい桜なんかをとる場合はASA100にしとけばよかった!!なんてところも似ている。 そして当時はニッコール純正,しかも、抜けの悪いヘボいZoom Nikkorじゃなくて単焦点のNikkorにしとけばよかったと当時は思っただろう。 今は違う。
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2018/04/04(水) 20:17:14 |
放)SIGMA UC ZOOM 70-210/4-5.6
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