(CANON EOS Kiss Digital初代(2003年…黒ボディーなので2004年です、EF-S 18-55mm/3.5-5.6II使用)ここの所、35㎜フルフレーム(1910年代の言い方ではダブルフレーム)のデジタルカメラが増え、また高画素化し、4500万画素代に突入している。ごくふつうのAPS-Cやマイクロフォーサーズでも2000-2500万画素程度の時代になった。
こうなるとピントに大変シビアになる。
1眼レフレックス型の光学ファインダー内に仕込んだ位相差式のピント検出装置の速さなどは、スポーツなどの報道分野でAFの速さで、まだしばらくの寿命がありそうだ。2020年の東京オリンピックくらいまでは、プロフェッショナルの分野で残るのではないだろうか。
ミラーレスのフルフレーム化、まぁデジカメというのはもともとミラーレスだから、まっとうな発想と言えばそうなのだけれど、
ショートフランジバック化によりレンズの設計の自由度が増し、高画質化して、さらにセンサーも高画素化する。
ほんのわずかなピントのずれも許されない。
高画素化の罠が待っている。
いや、ある意味、ローパスフィルターをつけ、さらにベイヤー素子であれば、「画家」である映像エンジンでいい感じに仕上がるだろうが、SIGMA sd quattro Hの場合
1...MFモードにして、
2...AFやAEロックのボタンにフォーカスエリア拡大をあらかじめ割り当てておいたものを親指で押しておき。。。
3...シャッターボタンを半押しにして全景を見て、
4...シャッターボタンから指を離してx10倍拡大の状態でピントを合わせ、
5...シャッターボタンを半押しにして全景を確認してそのまま指を押し込みシャッターを切る。。。
というような撮影するのが一番ストレスが少ないし、当たり前だが大変良く写る。
FOVEON X3センサー派でもquattro素子は我慢ならんという方がいるようだが、
きちんとMFで撮影し、JPEGを信用せず、RAWで撮ってみればquattroセンサーの優位性は正確なピント合わせが可能なことと相まって優秀であることは間違いなしだ。批判している方は、AFでJPEG撮って出しで評価しているのではあるまいか。
フォーカスエリア拡大を割り当てたAFL,AELボタンは,カメラを構えていて、親指のすぐ届くところにある。
ローパスフィルターはないは、1ドットで色は決まるは、レンズは最高だわで、「残念ながら」絞っても被写界深度は増えるがピントは1点である。
ピントのピーキングを使う方もおられるようだが、x10に拡大し、わずかに残った軸上色収差、の色の変化のはざまで止めるのがよろしい。
この行程は慣れると実に早くできる(バケペンよりも数段楽である)。
その点レンズのグレードを落とすと(フィルム時代のものなど)ぐっと撮影は安易になる。ある意味写らなさを、シャープ感や色味でうまく描くのだ。
小市民にとって良く写るカメラとは何か。。。インスタ映え(この言葉よく知らないのですが)するカメラでもあろうし、良く写らなさをどう演出するか。。。それに尽き、つい先日雨後の筍のように大手数社から発表された高画素ミラーレスフルフレームカメラは高画素の罠にはまるのではなかろうかと思っている。
写真はCANON EOS Kiss Digital(2003年)、EF-S18-55mm3.5-5.6II
JPEG撮って出しであるが、600万画素級、さらに当時の普及型レンズでうまく「良く写った感」・・・その実良く写らない感じをどう演出するかということにはたけているように思う。
現在の最高の道楽カメラとしてはJPEG撮って出しで定評のある富士フィルムの中判デジカメも道楽に思うが、
更にSONY α7sIIIの発売を待つか?7sIIで35㎜フルフレームで最新技術の大型センサーで1000万画素程度を楽しむことだろう。
「デジカメに1000万画素はいらない」たくき よしみつ著 講談社現代新書。。。と本に書かれ、最新のテクノロジーで比較的低画素なものができればどんなにいいかと書かれていたが、まさにそれは実現されている。
広いスペースに最新の高感度なセンサーを置くため暗いところにめっぽう強い。
目視できないようなところでも写ってたりするらしい。
小市民は、夜にすやすやと眠る子やペットの寝顔、妻の大の字の寝姿を撮りたいものだから。
- 2018/10/09(火) 20:42:22|
- 善良なる小市民にとって良く写るということはどういうことか
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(SONY DSC⁻-F505(K) Carl Zeiss Vario-Sonnar )
善良なる小市民にとって良く写るとはどういうことか、またどのような写真機であるか、これは時代の変遷や環境で異なってくる。
私がカメラを覚えた小学生のろ(ちょうど1980年ころ)、コダックのネガフィルムは
コダカラ―IIであったが、絹目などのプリン路は実に上品で美しく、色が若干黄色によるとはいえ、家にあったminolta SRT-101のMCロッコールなどの上品な描写と相まって、実に美しいものだと思った。プリンターが良かったのである。次代は少し後になって、インストアラボが出始める。お店にプリンターがある。当然プリンターは安いものにせざるを得ないから、なんかいまいち上品さに欠ける。しかし、ちょっと伸ばそうと思って大伸ばしにして五反田の東洋現像所にまわった日にゃ、実に美しいプリントができた。
またそれにふさわしいフィルムもあったのである。PCN・・・プロフェッショナルカラーネガティブだ。
YASHICA mat 124Gは解放で甘く絞ればよくなるが、その分カラーバランスは素直だった。
実にこのヤシノンとPCN、そして五反田の東洋現像所(のちにIMAGICA・・・最近更地になった)・・・
もうちょっと時代は先に進んでコダックの高品位フィルムエクターのエクター仕上げはでたらめなものだったが、
フジカラーのリアラのリアラ仕上げは手ごたえのあるものだった。
きちんとレンズを選ぶ。
どんな古くてもよいガラスを使ったものであれば素晴らしい色と出来栄えであり、
評判のズームレンズなどは色が飛んだり散々であった。
良いレンズを使う醍醐味があったのである。
現在はアナログのカラープリンターはわれわれの目の届くところからはなくなり、
小市民の目の触れぬプロラボなどではアナログのプリントができるようだが、
それは善良なる小市民の行いではなく、大変立派な趣味である。
善良なる小市民にとって今や普通の写真屋さんでは、フィルムを使ってもデジタル変換されてしまう。
すべては明瞭に、微妙な光線状況でデリケートなレンズを使う意味は喪失した。
写真のカラーの在り方が変化したのである。
ふつうの写真、すなわちカラープリントに於いて、フィルムを使う意味はなくなったといってよい。
しかし、コントラストの高いズームレンズの描画にも、それを描く新しいフジカラーの一般向けの高級な奴(スペリアプレミアムかなぁ)の派手な発色とで~んと腰の据わった色合いとデジタルプリントが合わないでもない。
しかし、フィルム(アナログ・・・A)とデジカメ(デジタル・・・D)とデジタルデータのプリンターにかけた場合
AtoDよりDtoDの方が変換がなく有利である。。。はずである。。。。が
事はそう簡単にはいかない。
PCで見てきれいに映っていたのがプリントしたら変に粗さが出てたり、ようは、変な補正がかけられていたりするのである。
また、小さなセンサーに過度な高画素化が汚いプリントを排出もしている。
やはり善良なる小市民にとって良く写るカメラとは、インストアラボのプリンターで焼いてもらって、L、2Lもしくは大きくても四つ切くらいまでで、基本的にはLから2Lまでとしたい。
しかし、プリンターでも設定によって変わる。扱う人によって変わるのだ。
中々変数があって訳が分からなくなってくるが、もうすでにDtoDとあきらめるほかはあるまい。
先日変態カメラ(シグマの山木社長もそうおっしゃっている)フォヴィオンセンサー(quattro APS-Hサイズ)で撮ったものをL判、2L判にプリントしてもらった。それぞれのサイズでおとなしい描画である。またこのセンサーの特徴かもしれないが(フォビオンでもquattroの方)、そのサイズなりにおとなしい絵が出てくる。伸ばせば伸ばすだけどんどんディティールが際限なく出てくるんだけど。
もうちょっと派手さやカリッと写る感じが欲しいなぁとも思ったが嫌みがないし、元の画像はディティールの情報がバケモンみたいにあるから、よいと言えよう。能ある鷹は爪を隠す。
でも善良なる小市民は変態カメラを持たないのである。
であるから、非常にリスキーではあるが、古いデジカメなどを物色して好みのものなどを探している。
8mmビデオハンディーカム時代の末期に、Vario-Sonnarと贅沢な絞りを搭載したものがごく少量出たと思う。
これは最後のあだ花としてだったと思う。展示品は1回くらいしか見たことがない。型番は覚えていない。
その後、私の実家にSONYのPC-1が来た。今調べたら1998年発売だったようだが。だから1999年とか2000年とかだと思う。
これは20万円くらいのもので、父が亡くなった後私の稼ぎはない中、犬の動画をとるためといって、毎月1万円ずつ払うからと母を説得し(この約束はお恥ずかしながら履行されなかった)、アルバイト先のカメラ屋さんから買ったものである。
犬はそろそろ老境にあり、我が子(私)よりかわいがっていた。犬をダシに使えば予算が出やすかったのだ。
8㎜ビデオとは違いすでにデジタルビデオになっていて、完成度は高いように思われた。
https://www.sony.co.jp/SonyInfo/News/Press_Archive/199806/98-055/↑これはPC-1のメーカーのページである。
同世代、もしくは少し後だが、デジカメもF55、F505が出ている。電池も互換性がある。
デザインも似ているのだ。
おまけにPC-1のモノクロ動画にしびれた。
さすがZeissだ。。。(これは適当に解像度がなくて分厚い感じの白黒画像が出てきたからそう思ったのだろう)。
F55,F505もパソコンを持っていなかったにもかかわらず欲しかった。
当時、もう願いはかなうはずもない。
そんな中、弟子の高校生がF505を買ってもらったらしく、嫉妬したのを覚えている。
10年前にF55Vを、そして今年2018年にF77を買った。
PC-1の時に勘違いしたZeissのモノクロの感じは健在であった。
実際ちょっとヤシコンのディスタゴンでモノクロを撮った時と似ていたのである。
分厚い写り。。。シャドウの出方。
さて、F505(K)も買ってしまった。
F55Vは今手元に無いが、F77やF505で気に入ったモノクロやカラーの画像を
フジカラー系のパレットプラザにもっていってみないと小市民向けのカメラとは判断しかねる。
プリントしてなんぼの写真である。
既出であるが再掲載をお許し願いたい。
F77のディスタゴン・・・Zeissレンズと勘違いさせる好きな描画なのだ
こちらは10年前に撮ったF55Vのディスタゴン
さて、このころは修行中で休みもなく、F505や、F55V以降はあまり知らない空白の期間となる。
F505は717、828と進化(717までは進化だろうが828へは変態化ともいえる。
F828の存在は、せいぜい1週間ほど前に知ったのであったろうか。。。
安いとまで行かなくとも、即決が4桁、入札者あり。
新品同様のコンディションだったしフードもついていて、おまけにSIGMAのバックに入っていた。
SIGMA用にちょうど良いバックが欲しいなぁと思っていたら、レンズを付けてバッテリーアダプターを付けてちょうど入る大きさだったから良しとしたい。SONYの方はソニーセットジャンク詰め合わせでどれ一つとしてまともに動かなかったものがSONYのアルミバックに入っていた。
あ、思い出した。なんでf828に至ったというと、そのジャンクセット(主にマイクロカセットプレイヤーが欲しかったのだ)、肝心のマイクロカセットプレイヤーは駆動ゴムがダメで動かない。そして汚いF505は動きそうだが電池固定爪が折れている(これはPC1のACアダプターが使えたから確かめられた)。汚かったのはハゲではなくて、ウレタン系の腐ったものがついていただけだったからずいぶんきれいにはなったけど。ハンディーテレビは外部入力がないから地デジチューナーをかますことはできず砂嵐だけ。
F88に期待したが、互換電池まで買ってみたが、ズームもピントもダメ。。。結果互換電池と充電器だけが健在である。
そして、こちらも汚い、というかダイヤルのプリントがきれいに撮れて擦り傷だらけのDSC-S75がダメ。
このカメラが使えるかどうか買ったNP-FM50の互換電池と充電器が宙に浮いた。
この損失を何とかしなくてはならない。
検索して引っかかったのがF828である。大変良いコンディションで4桁だったからよかったものの実にタイミングが良かった。
4色のCCD,これは先述のフジカラースペリアが「第4の感色層」と銘打っていたのと被る。
このカメラが発売になったころ私の頭はフジのSR素子のF700でいっぱいだったし、F828ときたら当時低下が16万円だったというから、頭っから機種選定の中に入っていなかった。F700でさえ、発売延期を我慢して、その間に購入資金は底をつき、買うのに偉く苦労したのだ。
F828は28-200㎜相当のVario-SonnarでT*マークがつくようになった。

どのような描画かと思いきや、Zeissらしからぬカリカリの超解像感のある描画だ。
これもプリントしたらどうなるんだろう。
このカリカリ感がデジカメ臭くなるといやだなぁ。

↓この被写体でこれだけシャープ感があって撮れたのはこのカメラだけであった。
SIGMAのsd quattro Hは本格的に描写が良すぎて、この物体の表面の擦れとかごみが写ってしまって、プラスチックだとばれてしまう。マイクロフォーサーズとてG8のローパスフィルターレスのものも同じことが言える。このソニーのF828は素直ではないといえる。シャープ感を物凄く売りにしている。

ある種カリカリとした色気はあるがプリントでどう出るか。

これはよく頑張ってくれた。手前のつぼみの花弁が重なっているのが見えるかどうかというところの感じが出ている。
この感じはquattro素子のFOVEONでやっと出るかと思ったが、このカメラでも出てくれた。
紅梅はつぼみのうちが美しい。
このカメラのセンサーが持っている派手さがうまく出たのであろう。
ソニー製品詰め合わせのどれとしてまともなのがないジャンクセットであったが、型名(DSC-S75)を見に取り出して症状を再検証していると、メモリースティックエラーと出る。これは来た当時はわからなかったが今ではわかる。
メモリースティックプロデュオをアダプターに入れて使おうとしたから後に進めなかったのだ。
128MBの古式メモリースティックを入れたら、なんと!!とれるではないか!!
おまけに私の大好きなポンコツ。おまけにフィルターアダプター(ズームしてレンズが飛び出してもフィルターを付けられるようにしたフードのようなもの)がついていたのである。
f2~2.5の3倍ズームは使いやすい。これもCarl Zeiss Vario-Sonnarである。
828という偉いものに手を出しちゃったことになるが、これも神様のお導きということで経済危機は加速度的に増した。
でもダイヤルのプリントが消えて訳が分かんなくなっちゃったとはいえ察しが付く。

一応結像もしていた(S75)

このカメラはよく知らないから、調べてみよう。
相当逸脱した。
プリントするのにはどれくらいのものが塩梅がいいか?
それはスマホです。。。といってしまえばおしまいである。
F77当たりで検証したい。
こんな妙な気を起こすに至った理由は、昔母が職場で使っていたOLYMPUS CAMEDIA C2040 Zoomである。
1/2センサーにゆったりと200万画素。
これは当時なりに良くってソコソコだと思ったが、モノクロだとレンズの冴えが出る。
やはり古いデジカメをあさるとき、これだけは守りたい。
レンズが明るいこと(室内でノーフラッシュ可)そして、レンズが良いこと。
ってことでC2040のほか3040と5050は押さえた。
3040と5050が可動品であることを祈っている。
とりとめがなくなってしまった。
とてつもない経済危機、デフォルトの危機に暢気にこんなことを書いているのは、
薬によって躁状態になっているためだ。
- 2018/01/18(木) 03:00:47|
- 善良なる小市民にとって良く写るということはどういうことか
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