
(これが一番ピントが合っている)

このカメラとは縁を結びそびれた。
1979年ころ、簡単に撮るために出たばかりのキヤノンオートボーイを買おうあということになった。家族で駅前のカメラ屋に車で行ったことを覚えている
自動巻き上げとなり、キヤノン初のAFカメラで評判となり「オートボーイ」という言葉はおおよそ知られる名前となったのである。その証拠に加藤茶が、男子の急所に関するギャグでいかりや長介にダメだこりゃ。。。と言われた後「キヤノン男ボーイ」と言って締めたのである。
この時は4万円はゆうに超える売価だったので「買えないねぇ」と言ってカメラ屋から去った。
我が家に1眼レフは有ったのでカメラとしての緊急性はなく、親父に写真を撮るのを任せ続けることで解決した。
後に知ることとなるが、赤外線アクティブAFを搭載し、ピント制度が良くなったようだ。この後オートボーイはしばらくAFコンパクトの代名詞となる。
もっとも赤外線アクティブ式で自動巻き上げはCHINON 35F-Mの方が早い。しかもこちらは無段階AFという画期的な特質を持っていたのだが、こちらは有名にはならなかった。
1983年に新宿のヨドバシカメラの本店にAFコンパクトカメラを買いに行くこととなった。
今度は価格をリサーチ、家族で新宿にAFカメラを買うことを前提に出向いた。
デカくなる種類の子犬を飼ったのだ。
今度は親父だけに任せておくわけにいかない。母だってとりたいし、気軽にさっとシャッターチャンスを狙いたかった。
当然買えれば大口径のオートボーイスーパーが本命といったところだったが。。。
店員さんが勧めないのである。
「え、なんで。。。あ、古いの、、、?あ、そうですね、赤外線アクティブじゃないもんね、
お奨めはどれですか?。。。
えぇ~~ッ、リコー??、、、まさか。。。まさかまさか、きれいに撮れる??ああ、このレンズ5枚構成ですからね、細かいところまできれいに写るですって??、、、」なまじ5枚玉ということを聞いて納得してしまった。
83年というと私がはじめてカメラ年鑑を買った年で、隅々まで見尽くして、カメラの細かいスペックを暗記していた。
いまから思えばリコーのメーカーさん(メーカーから大手量販店に派遣されている手伝い要員)だったと思うのだが。
しかし、この店員さんの言うことはまんざらでもなく、新しく出たもので当時驚愕の高感度カラーフィルムとして強いインパクトがあったKodak VR 1000(ISO 1000)にいち早く対応したのがこのカメラだった。
オマケにデカかったAFコンパクト機を一気にスリム化している。
大口径レンズのオート―ボーイスーパーは当時のAF機能ではなかなか活かしきれないというのも説得力があった。
まぁおかげで、リコーのFF-3Dは使い倒した感がある。当時はリコーというと普及型メーカーという偏見があったけれど、このレンズはきちんとしたものだった。プラスチックの安っぽさも随分なくなっていた。
その後、わたしも学生アルバイトで京セラのメーカーさんとなり、あの時はリコーのメーカーさんにやられたなぁ~と思いが強くなった。
中古でオートボーイスーパーなど安くなった時に、箱入りで2000円という新品同様のものを買った。
私自身は大口径レンズというと暗いところで写すから当時のフォーカスステップの少ないころのカメラではさえない。結局その個体はすぐに手放した。この個体は83年発売のオートデート付で、Made in TAIWANとかいてある。
81年発売のオートデートなしのものはCanon JAPANと書いてある。
なんとなく良いような気がしてオートデートのないものを探していたが、うごいてもレンズが曇っていたりでなかなか良いものと出会わなかった。
まぁレンズを生かせない当時のAF機能ですが、とうじのEサイズなどでは十分見れただろう。
AFがしっかりしてくるのは90年代の声を聞いてからである。
今世紀に入り、リコーなどの作ったカメラのレンズが大変良いと再評価された。
ヨドバシカメラの店員さんのおかげで、結果的にピントの合ったところは大変良い画質の写真がとれていたのである。5枚玉は伊達ではなかった。
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- 2013/07/03(水) 22:52:16|
- 放)CANON LENS 40mm/1.9(AF35ML)
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