
長城PF-1 Great Wall 40mm/2.8,Ilford XP2使用
このボケた写りはカメラのせいではない(正しくはカメラのせいだけではない)。
目測で撮ったからだ。
普通のマニュアル機だとシャッター決めて館で絞り値決めてさっと撮るのだが、
プログラムシャッター(プログラムAEではありません)だと一瞬どこらへんにしてよいかわからない。
この長城だけでなく、本家のFUJICA ST-Fも同じである。
絞り値に対応したシャッタースピードまで把握している方は、FUJICA ST-Fの達人である。
ちなみに絞り/シャッター速度の対応が知りたくて取説を買った。
一応母の日の代わりとして両方の母と食事に行ったが、食事中にオムツから漏れるくらい小用をしたらしい。オムツを車に乗る前に代えたのである。ズボンもぬれていたから。。。かようなる姿に。
何代か前の第2代赤色毒餃子国の親分(途中にとても短く親分になった人がありましたが) あずまこだいら氏(なんとなく連想してください)の黒猫白猫論ではないけれど、写真を撮るカメラが良いカメラである。
それこそ「うつればいいじゃん」ということなのだ。
ジャンクの試写でもよい。高いカメラを買ったからでもよい。
試写という名目で撮ったものが後々意味を持つことになる。
祖父母、父、犬たち、周りの方々。
試写という安易な目的故、普通の姿が写っている。
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- 2013/06/27(木) 21:29:07|
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このカメラの元となった本家FUJICA ST-Fは当時行きつけのカメラ店で触っている。
このカメラが現役のころだから1980年前後。私が小5前後だ。
カメラが展示している棚ではなく、店内のフィルムなどを入れてあるガラスケースのレジの横当たり。。。
会計に来た人が手にしやすいところだ。
フラッシュ内臓1眼レフということで目新しかったが、小さく軽く、チープな感じであった。
このカメラがどれくらい写るのか興が味があった。
このカメラを当時使っていた人のコメントを中学のころにほんのワンフレーズ聞いたことがある。
学芸発表会なる催しがあり各学級、各部活などの展示があった。
何か写真の展示があった。これはG先生の写真らしかった。花であったか何であったか、旅行か何かだったかもしれない。
とにかく当時からどのカメラを使ったか聞く癖があったので、「先生、この写真は何のカメラで撮ったんですか?」と聞いた。G先生は私の担任でもなく、私のクラスは先生の授業は受けていなかったので交流がなかった。
先生はさらっと「一番小さくて軽い1眼レフ ○×△・・・~~~???(この名前のところは記憶にないのだけれど)」といった。
この先生が言った機種のところの音声は記憶から消え去ったのだけれど、ニコンやキャノンやミノルタやペンタでもな買ったのは確かで、当時ええ~~~ッ!!と思ったのは覚えている。
当時すぐにFujica ST-Fのことであることは察しがついた。
この発言から私が感じたことは、レンズ固定式で最短距離も遠く、シャッターも非常に簡便なものであって、1眼レフとしてのメリットは完全にないと思われた。
唯一のメリット、いや唯二つのメリット、軽くフラッシュが付いているということもかすんでしまうほどのデメリットを持っていたのだ。
それでも1眼レフ。。。というところにこだわるのかねぇ。。。とG先生の発言から当時は感じたのだが、今考えると、軽くて、安くて、G先生とフィーリングが合って、いざとなればクローズアップレンズを付けて花の接写などもできる。。。という旅行などにはもってこいのカメラ。。。ということだったのではないかと今では思う。
それに当時ジャスピンコニカ、フラッシュフジカなど黎明期のAFコンパクトカメラのピント精度(というかピントを合わせるステップ)はあてにならず、AFの入っていない目測ゾーンフォーカス機も引き続き併売されることとなった。ピッカリコニカやフラッシュフジカのゾーンフォーカス機である。
よくよく考えると、フラッシュフジカのゾーンフォーカス機よりもピントグラスによってピントを確認できるわけだし、さらには当時のAFとは比べ物にならないほどピントの歩留まりも良かっただろう。
それだけでもST-Fの存在意義はあったのかもしれない。
今この分を書いていて、メーカーの人はここら辺のことを考えて、この不思議なカメラの開発を考えたのでは。。。と思うに至った。
軽くて、フラッシュ内蔵で、ピントの合うカメラ。。。
私自身のなかで腑に落ちるものがあった。
しかし1眼レフというジャンルであったがため、1眼レフを使う層からはあまり相手にされていなかった。
G先生は的確な御判断でこのカメラ(Fujica ST-F)を買われたのだろう。
Fujica ST-Fのデッドコピーの中国製の長城PF-1の存在を知った時にはをををを~~~~!!と思ったが、1万円超の値段(輸入会社の付けた値段)に手も出ずに終わった。
最近中古のフィルムカメラががいよいよ値段が付かなくなり、3野口ほどで購入できた。
この長城PF-1は当初壊れている。。。と思って落胆した。
レンズのなかに遮蔽物が出てきてしまう。
私はプログラムシャッターなどによくある、絞りとシャッターを兼用した2枚の板が1枚だけ変な位置に来てしまい、レンズを遮っているのだと思っていたけれど。。。
どうもこれはミラーシャッターの開き具合を制御する棒であるとの情報をWeb上で得た。
しかし最少絞りのf16にしたときレンズの下半分をこの棒で占拠されてしまう(↑ 上の写真を参照してください)。
これはどう考えても正常であるとは思えなかったのだけれど、本家FUJICA ST-Fもこんな構造になっているらしく、なぜこれでちゃんと写るのかわからない。。。との記述があった。
ひょっとしたらひょっとするぞ。。。
フィルムを入れたら結果は普通に写っている。
私の手元にある長城PF-1は程よくポンコツで、フィルムを入れてもまともに進行しなかった。
巻き取り軸のスリットに不具合があるらしく、フィルムを巻いて4枚目あたりでフィルムが進行しなくなる。
どうやら指でフィルムのテンションをかけながら、4枚目くらいまで巻き取り軸にきれいに巻かれているかを確認してからでないとダメだった。
うまくいってからは巻き上げも巻き戻しもスムーズであった。
ただし最初の4枚をロスしているから
36-4=32枚 という風にフィルムを目いっぱいとることができない。
長城PF-1でWeb上を調べても、このような記述は出てこないので、これは個体差の問題だと思う。

このカメラのもとの偉大なる富士フィルム(当時は富士写真フィルム、という会社だった)のFUJICA ST-Fも似たようなものだったなら(巻き上げ巻き戻しはすんなりできたと思うのですが)、がぜん本家のFUJICA ST-Fの方が欲しくなった。実働品のFUJICA ST-Fは何とか入手したいところである。
普通はおいらはパチモンの方好きなんだけれど。。。
- 2013/05/07(火) 02:39:54|
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